“地震大国”日本では、城を建てた城主たちがこれまで“見えない敵”である地震と戦ってきたと言えます。現在、強い警戒感を持つべきと言われているのが「南海トラフ地震」です。江戸時代最大の地震であったと言われている「宝永地震」によって日本の名城がどれだけダメージを受けたか、この記事ではそれをまとめながら、地震との向き合い方について考えてみます。
1. “地震大国”日本
そもそも地震はなぜ発生するのであろうか。“地震大国”日本に住む者としては、一応勉強しておきたいテーマだと思う。地球の表面を覆っている十数枚の「プレート」(厚い岩盤の層)の動きに関係するものという説明がなされている。それぞれのプレートが別の方向に向かって年間数cmから数十cmの速さで動いているため、プレート同士の境目では常に押し合う力が発生し、その力によってプレート内部にひずみが次第に溜まっていく。長い時間をかけて溜まったひずみによって、プレートに傷がついたり、あるいは元の状態に戻ろうとする力が生まれる。この「傷」や「元に戻ろうとする力」が地震であると言われている。
日本列島は、以下のとおり「太平洋プレート」「フィリピン海プレート」「ユーラシアプレート」「北アメリカプレート」という四つのプレートが交わる場所に位置している。先に述べた地震発生のメカニズムからすると、地震が多いのは至極当然のことである。
Vol.1のとおり、直近では熊本地震によって熊本城が激しく傷ついたことは記憶に新しいところ。“地震大国”日本においては、城を建てた城主たちは、周囲の敵以外にも地震という見えない敵と戦わなければならなかった。城が木造の建築物であり、自然に手を入れた工作物である以上、ある意味避けては通れない戦いであったと言える。
2.南海トラフ地震
最近、気象庁や地震調査研究推進本部*1が特に警戒を呼びかけているのが「南海トラフ地震」である。「トラフ」とは、海溝よりは浅くて幅の広い、海底の溝状の地形のことを言う。先の図のとおり、「南海トラフ」はフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んで形成されたものであり、そのエリアは駿河湾から日向灘沖まで広範囲に及ぶ。
①フィリピン海プレートが陸側のユーラシアプレートの下に1年あたりで数cmの速度で沈み込んでいく⇒②プレートの境界は強く固着して、陸側のユーラシアプレートが地下に引きずり込まれることによって、ひずみが蓄積される⇒③長年にわたって蓄積されたひずみに耐えきれなくなり、ユーラシアプレートが限界に達して跳ね上がることで地震が発生する。以上が「南海トラフ地震」発生のメカニズムになる。
非常に厄介なことは、こうしたメカニズムで発生する「南海トラフ地震」が過去に繰り返し発生しているという事実である。江戸時代に着目してそのレビューをしてみると、以下のとおりとなる。
1605年 | 慶長地震 | M7.9 |
1707年 | 宝永地震 | M8.6 |
1854年 | 安政東海地震 | M8.4 |
1854年 | 安政南海地震 | M8.4 |
定期的な周期で発生していることに驚かされる。過去1400年間の歴史を見ると、「南海トラフ地震」はおよそ100~200年の周期で発生するものと言われている。直近の「昭和南海地震」が発生したのは1946年12月。今後30年以内にM8~9クラスの地震が70~80%以内に発生するという予測*2は、決してオーバーなものではない。
*1 地震調査研究推進本部は、地震防災対策特別措置法によって設置された政府の特別機関である。文部科学省の所管となる。設立の契機となったのは平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災、わが国の地震調査研究の司令塔としての役割を果たしている。
*2 地震調査研究推進本部ホームページ「都道府県ごとの地震活動」>「海溝で起こる地震」>「南海トラフで発生する地震」参照。
3.“宝永地震”による城郭被害
江戸時代の地震被害の中で記録に残る日本最大級の地震であったと言われているのが宝永地震である。内閣府防災情報のホームページによれば*3、死者は5千人以上、負傷者1,300人以上、全壊家屋5万件以上、流出家屋2万件近く、壊れた堤防の合計長は800km。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定されており、実際の被害数はもっと大きなものであったと言われている。
宝永地震によって日本の城郭はどれだけ被害を受けたのか。これを取りまとめた優れたレポートがある。同じく内閣府防災情報のホームページに掲載されている、北原糸子氏の「第5章 城郭被害図にみる宝永地震」である*3。当時の各藩の城郭被害は、柳沢吉保の公用日記「楽只堂年録」*4にまとまって記録されていた。北原氏はそれを踏まえ、被害城郭の所在地の教育委員会、博物館、資料館などに対しアンケート調査を実施、関連資料の所在を確認するという、非常に丹念で念入りな調査研究を行っている。被害の惨状を概観してみよう。
甲府城 | 山梨県 | 城内所々櫓多門塀瓦落、侍屋敷少充破損等 |
浜松城 | 静岡県 | 本丸菱櫓潰れ、本丸多門残らず潰れ、本丸冨士見櫓潰れ等 |
掛川城 | 静岡県 | 本丸天守大破、二重櫓潰れ箇所多数、侍屋敷140軒潰れ等 |
吉田城 | 愛知県 | 本丸三階櫓ひずみ瓦落ち石垣残らず崩れ、御殿ひずみ大破等 |
岡崎城 | 愛知県 | 櫓ひずみ、城内石垣崩れ18カ所、石垣孕み39カ所等 |
津城 | 三重県 | 本丸多門石垣曲り、天守台石垣孕み、西丸高石垣崩れ等 |
岸和田城 | 大阪府 | 天守四方壁落ち、御殿大破、櫓12カ所潰れ、崩れ、破損等 |
明石城 | 兵庫県 | 城内石垣両所20間余崩れ、石垣孕み、櫓1カ所斜め等 |
高取城 | 奈良県 | 天守・櫓瓦落ち、堀石垣崩れ、家中屋敷悉く大破 |
高島城 | 長野県 | 城中櫓4カ所傾き、櫓2カ所傾き、石垣7カ所崩れ等 |
岩村城 | 岐阜県 | 城内石垣8カ所崩れ、櫓塀所々破損、居宅破損 |
大垣城 | 岐阜県 | 櫓4カ所、天守破損、多門5カ所崩れ、城廻り石垣所々大破等 |
大洲城 | 愛媛県 | 天守台石垣崩れ、孕み、本丸門2カ所石垣崩れ、孕み等 |
高知城 | 高知県 | 大手門脇塀石垣表裏共孕み、城中塀傾き、二丸三丸石垣抜け |
高松城 | 香川県 | 天守櫓屋根瓦落ち、壁損じ、多門転び、ひずみ、屋根瓦落ち等 |
佐伯城 | 大分県 | 城内悉く破損、潮大手前にて5尺、ところにより9尺~1丈等 |
岡城 | 大分県 | 城内そう石垣崩れ、孕み都合61カ所、石垣崩れ48カ所等 |
Vol.4の「日本100名城」および「続日本100名城」に限ってピックアップしてみたが、北原氏のレポートによれば全国で被害に及んだ城郭は実に47カ所に上る。南海トラフに沿う西日本エリアの太平洋岸に被害が集中していることが見て取れるが、美濃岩村城や甲府城、高島城といった内陸中心部、静岡県の太平洋岸沿いなど、その被害が広範に及んでいることがよくわかる。北原氏は、さらに被害が及んだ47カ所の城郭について地形条件、城郭様式などの分類をされている。地形別の分類によれば、段丘上に立地するものが18地点、次いで山地が10地点、三角州が9地点の順になるとのこと。地震被害を想定するにあたり、城郭の立地・地形にも着目することは、非常に大切な視点だと思う。
ひとたび「南海トラフ地震」が発生すると、日本の名城の数々が大きなダメージを受けることになる。北原氏のレポートはそれを明確に予測するものである。
*3 北原糸子氏は、日本の災害史研究を専門とされている歴史学者である。直近の著書(2021年1月)として、東日本大震災の現場で対応に当たった行政担当者や寺院への聞き取り、自治体が発行した記録誌などから東日本大震災の過程を跡づけられた『震災と死者 −東日本大震災・関東大震災・濃尾地震』(筑摩選書)がある。また、城に関する著書としては、『江戸城外堀物語』(ちくま書房)がある。地下鉄南北線工事に伴い当時の遺跡が発掘されたことを契機として、寛永13年の江戸城外堀の天下普請、大土木工事の様子を再現されている。
*4 「楽只堂年録」(らくしどうねんろく)は、柳沢吉保の先代の記述に始まり、宝永6年(1709年)6月に嫡男吉里に家督を譲り隠遁するまでの公用日記である。荻生徂徠が編纂したもので、全229巻に及ぶ。大和郡山の柳沢文庫所蔵の原本を使用して全文版刻が行われており、八木書店から全10冊として刊行されている。
4.“南海トラフ地震”に備える
Vol.2のとおり、戦後に鉄筋コンクリート造で再建された天守の数々は、コンクリートの使用耐用年数の関係から次の再建をどうするべきかという時期を迎えている。特に「南海トラフ地震」の被害が想定されるエリアについては、こうした建物の再建にあたって“耐震構造”をどう強化するかという点に気を配らざるを得ないであろう。
「南海トラフ地震」に対して強い警戒感を持っている高知県では、津波が到来することを想定した「高知城」への避難訓練が行われている(【いのぐ】津波だ!高知城に避難!!いのぐ記者が避難)*5。高台に造られた天守を目指して非難するのは、津波という危険に対しては至極理に適っていること。しかしながら、熊本地震からも明らかなとおり、城自体が深くダメージを受けることも当然に想定されるところである。前記3の宝永地震の城郭被害から明らかなとおり、これまで数多くの地震に晒(さら)されてきた石垣は、特に危険性が高い建造物であるように思われる。
*5 「いのぐ」とは、土佐弁で「しのぐ」、「生きのびる」の意味である。
宝永地震によって佐伯城は甚大な津波被害を受けた。前記3の北原レポートによれば、当時の藩主毛利高良は高台にある城郭への避難指示を行ったとされている。
「南海トラフ地震」に対して我々はどう備えるべきか。わが国の文化遺産である“城”についても、その対応が迫られていることは言うまでもない。
👉 Vol.8 「一国一城の主」