石垣の話 その2(Vol.15)

今年の夏休みはいつもと一味違うものになった。あの名門「川奈ホテルゴルフコース」でなんと「石垣」を発見!ゴルフモードから城モードへ切り変わった瞬間だった。

1.大人の夏休み

コロナが続く中、いつもとは違う“大人の贅沢”をしてみたいなぁ。ふと、そんな思いを強く抱いた今年の夏である。このブログの趣旨からすれば、当然のことながらVol.8の「一国一城の主」を目指すしかないところであるが、そこまでの覚悟がまだ自分にはできていない(苦笑)。城の路線からは完全に脱線することになったが、仕事で知り合った知人から声をかけてもらったことをきっかけに、ゴルフファンであれば誰もが憧れる川奈ホテルゴルフコースへ出かけることにした。川奈ホテルに一泊をして、大島コース富士コースを満喫する。まさに“至極の大人の夏休み”である。

「富士コース」から「川奈ホテル」を眺める

 

2.川奈の歴史

1928年(昭和3年)、川奈の歴史はホテルからではなく、大島コースから始まった。創業者の大倉喜八郎は、当時英国風の城や荘園を川奈の地に作ろうとして、広大な土地を購入したが、火山灰が降り積もった溶岩台地では牧草が育たず、スコットランドのリンクスコースをイメージしたゴルフ場建設へと計画を変更。現存する日本のゴルフ場では12番目に古い「大島コースが誕生したわけである(ちなみに、日本最古のゴルフ場は「神戸ゴルフ倶楽部」で、1903年(明治36年)に開場となっている)。

大島コースの開場の8年後、1936年(昭和11年)に「川奈ホテル」が開業し、時を同じくして富士コースが開場した。設計者は世界的に有名なゴルフ設計家C.H.アリソン。当時、東京GCや廣野GCの設計のために日本を訪れていたアリソンを大倉喜四郎が多額の金でスカウトしたとか。OUTコースは海へ向かえば山へ行き、上り下りのアップダウンの連続。INコースは半島に突き出たところに作られ、見る者全てを圧巻するスケールの大きさ。そして壁のようにそそり立つ、アゴの高い「アリソンバンカー」がゴルファー達を苦しめる。「世界のゴルフ場100選」にも選ばれる、素晴らしいコースである。

「川奈ホテル」は、日本のリゾートホテルの先駆けと言えるのかもしれない。ホテル開業から85年、伝統と格式という言葉がまさにぴったりである。イタリアから輸入した大理石やガラスがホテル内の装飾にふんだんに使われ、シャンデリアや各所に配置されたタイルが当時と変わらず今でも館内を美しく彩っている。時が止まっているのではないか。そんな贅沢なひと時を味わうことができる。

 

3.あれ、こんなところに石垣が…

初日の「大島コース」に続き、二日目には「富士コース」をプレイ。INコース10番スタートでグリーンの四方を囲むバンカーにいきなり捕まり、右往左往する。ここはスコアは抜きにして、コースそのものを堪能することにしよう。そう自分に言い聞かせながら15番ホールにたどり着く。海岸沿いの打ち下ろしのロングホール、トーナメントでもすっかりお馴染みの名物ホールだけあって、その景観は実に圧巻である。危険を覚悟のうえでバンカーのやや左側を狙って思い切りドライバーを振る。

INコース15番ホール、お馴染みの光景である

終盤戦に入り疲れも出てきたたOUTコース7番ホール、ティーグランドに向かう途中で思わず我が目を疑った。「石垣だ、石垣がある」。な、なんと、ゴルフ場のコース内に「石垣」を見つけたのだ。感動が先行したせいだろうか、腕の良い職人たちによって築かれた、いかにも“いい仕事”ぶりの「石垣」に見えてしまう。なぜ、こんな名門コース内に「石垣」があるんだろうか。正直、頭の中はゴルフから「城」モードにすっかり切り替わってしまった(笑)。プレイが終わって、「川奈ホテルゴルフコース」のある伊東市のことを早速調べてみた。その中で江戸城石垣石丁場という、非常に興味をそそるワードを発見。徳川家康が江戸城を築く際に必要な石垣の供給源を伊豆半島に求め、その採石の痕跡が残る場所があちこちに残っていることがわかった。「なるほど、そういうことか」。自分の中で一つのストーリーができあがった。

静岡県伊東市ホームページから引用

 

4.川奈石丁場跡

伊東市内には多くの石丁場遺跡が残っている。特に「宇佐美北部石丁場群」のナコウ山山頂には、多くの大名が江戸城築城に関係していたことがわかる、刻印石を見ることができる。地図をよく見ると、川奈石丁場群の名前も。そうかぁ、「川奈ホテルゴルフコース」のあった場所はまさに石丁場のあった場所で、私が見つけた「石垣」は採石に関わった大名の手にによって残されたモニュメントなんだ。うーん、“城好き”だからこそできる、完璧なストーリーラインである。そうとなれば、すぐにゴルフ場へ確認だ。

私の思いつきのような問いかけに対して、ゴルフ場の関係者の方が懇切丁寧に電話で回答をくださった。誠に残念ながら、川奈ホテルゴルフコースのあった場所が川奈石丁場群であったという史実はないそうである。例の「石垣」も、いつ誰の手によって作られたものかはよくわかっていないもの。明らかに見当違いなストーリーであった(涙)。ただ、このエリアでは、江戸城建築に使われなかった採石があちこちに捨てられたそうで、コース内でもその痕跡が見られるとのこと。夏休みに名門コースへゴルフへ出かけ、「城」についてまたひとつ賢くなることができた。

実に良い夏の思い出になった。知人にただただ感謝、感謝あるのみである。

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