これは行ける、世紀の大発見!?(Vol.9)

ビジネスや旅行で新幹線を利用される方は多いと思います。車窓から名城見物ができる。ある日、そのことにふと気づき、大それた企画を思いつきました。しかし、偉大な先人たちはとっくの昔にお見通し済でした。今回はそんなエピソードです。

1. 出張中の発見 その1

かれこれ7~8年ぐらい前のことであったろうか。大阪出張のために東京駅から新幹線に乗っていた。座る場所は二人掛け座席のE席(窓側)といつも決めている。天気が良ければ富士山がよく見えるからである。仕事の予習に疲れ、ふと何気なく車窓の風景に目を転じると、右手に城の天守らしきものが見える。今どの辺りだろうかと神経を研ぎ澄ませていると、「掛川駅を通過しました」というテロップが…。そうか、「掛川城」だったのか。掛川城は掛川駅から徒歩約7分。これぐらいの距離感の方が、車窓から見る天守の姿としては映えるのかもしれない。

新幹線の車窓から見た掛川城。車窓だけではもったいないので、途中下車して天守見物!

名古屋駅を発車して、ほんの数分も経たないうちに、車窓越しにまた城が見えてくる。今度は距離が近い。赤い欄干と赤い橋が人目をやたら惹く。これは「清州城」だな。史実とは異なる模擬天守ではあるものの、名古屋駅を出た直後ということもあって見落としにくいため、城好きにはある意味やすらぎを与えるひと時かもしれない。

岐阜羽島駅から米原駅の間の少し開けた場所に、何やら看板が見えてきた。「古戦場関ケ原」とある。そうか、ここが天下分け目の戦いがあった関ケ原か。なんとなく気分が高揚してきたところで列車は米原駅を通過、すぐに高いタワーが見えてきた。フジテックの「エレベーター研究塔」である。沿線でもかなり目立つ建物を通過すると、田園地帯に大きな看板が見えてきた。「彦根カントリー俱楽部」の横に「佐和山城跡」とある。関ケ原の戦いに敗れた石田三成の居城であった佐和山城である。「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の右近と佐和山の城」*1。佐和山はどこだろうかとキョロキョロしている間に、新幹線はあっという間に通過をしてしまったが、看板自体はかなり目立つものになっている。

「佐和山城跡」を過ぎるとすぐ彦根市街地が見えてくる。小高い丘の上に何かが見える。かなり集中をして目を凝らして見ると、天守のような佇まいが確認できた。もしかしたら、そうだ、これは位置的にみて「彦根城」だ。どうして今まで気がつかなかったのだろう。まさか新幹線の車窓から国宝天守が見えるなんて。

さらに京都方面へ進行していくと、「727」の看板の向こうに「安土城址➡」の看板を発見。あっという間に通過をしてしまったので、どこが「安土城址」であるのかは確認できなかったが、「関ケ原古戦場跡」通過後に訪れた「佐和山城」⇒「彦根城」⇒「安土城」が続くドラマチックのような展開。いつもの大阪出張とは全く異なるものになった。

*1  島左近の名で広く知られているのが島清興(きよおき)である。有能な武将として知られていた左近を家臣に誘うため、光成は当時4万石であった自分の俸禄のうち2万石を分け与えると申し出たこと、三国志劉備が諸葛孔明を軍師に迎える時と同じように「三顧の礼」を尽くしたこと、左近は主の欠点を理解しながら最後まで忠義を尽くしたこと等々。光成と右近の二人の間には、歴史好きにとってたまらないエピソードがある。

 

2.出張中の発見 その2

別の日に出張で新大阪から博多まで山陽新幹線で移動をした時のこと。同じくE席(窓側)に座った。新神戸駅を過ぎて、姫路駅を通過する。右手に白亜の世界遺産「姫路城」をはっきりと見ることができる。城の周辺に高い建物があまりないからであろうか、かなりの長い時間世界遺産とランデブー体験をすることができた。城好きにとってはまさに至福のひと時である。

しばらく行くと、福山駅を通過。駅から歩いて1分の位置にある「福山城」の雄姿が姿を現す。近世城郭の完成形と言われる五重六階の復元天守の姿が見えた後、列車はホームを通過、あっという間に天守と伏見櫓が遠のいていく。首を思い切り後方に傾けながらその余韻を楽しむ。新幹線ホームが全面ガラス張りとなっているため、上り(東京行き)の電車でA席側に座り、そして福山駅で停車する新幹線を選べば、まさに城見物をした気分が味わえるだろう。

列車が関門海峡を通過すると小倉駅が近づいてくる。乗客がまばらになってきたのを見計らい、A席側に移動。ここは以前の出張で記憶していたのであるが、博多駅方面に向かって左側に「小倉城」が見える。ビルの谷間から南蛮造の模擬天守を見つけることができた時、思わず「やった!」と叫んでしまった。

 

3.『新幹線の車窓から名城見物』

新幹線で大阪から東京へ戻ってきた時に再発見!列車が小田原駅に近づく。駅手前のトンネルを通過すると、E席(窓側)に座った自分の目にいきなり大きな白亜の天守が飛び込んできた。そうか、これが「小田原城」だ。ということは、下り電車の場合には海側のA座席に座れば、駅からトンネルに入るまでの間に天守が左手に見えるということか。これもすごい発見だ。

東海道と山陽道(西国街道)。どちらも交通の要所であり、数多くの大名たちの居城が点在していたエリアである。城の数は少なくなったにせよ、先の出張時には発見できなかった「浜松城」、「名古屋城」、「岐阜城」、「大阪城」、「明石城」、「広島城」、「岩国城」あたりは、新幹線が通る場所からはそれほど遠くはない。座る座席のポジション(E席側かA席側か)によって発見が可能になるのではないか。「小田原城」を発見して、自信が確信に変わった。

普段ビジネスや旅行で何気なく見ている新幹線の車窓から、日本の名城見物ができるのだ。時速250km以上での移動になるため、発見はそれほど容易なことではない。常に車窓の風景に神経を集中させることにはとても耐え切れないが、「ここ!」というタイミングがわかっていれば、発見は容易になるはず。そうだ、東海道ないし山陽新幹線の車窓から見える名城を全てピックアップし、上り・下りの列車の別、座席の座る位置(A席、E席のどちらが良いか)、目標とすべきチェックポイントや時間に関する情報、そしてその城の歴史のことなどをまとめて、一冊の本にしてしまおう。タイトルは『新幹線の車窓から名城見物』がいいだろう。その本を手に取りながら、多くの城好きたちが新幹線に乗り込んでいく。何とも夢のある、良い光景じゃないか…。

アイデアが次から次へと自然に湧き出てくる。仕事の時であれば絶対にあり得ない高揚感を味わい、一人、興奮をしていた。行ける、これは絶対に行ける企画だ!

 

4.“先人たちの偉業”に脱帽

あとは、腰を据えてじっくりと構想を練り上げるだけだ。次の出張に備えてグランドデザインをまとめることにしよう。企画を大事に温めていたある日のこと、何気なく入った本屋で思わず愕然としてしまった。城コーナーで偶然見つけたのは、『新幹線から見える日本の名城』(2015年9月、株式会社ウェッジ)というタイトルの本。「なんじゃこりゃ~、俺の企画と同じだよ」(心の叫び)。

加唐亜紀さんという編集者&ライターの方が、東海道・山陽新幹線から見える主要な16城のビューポイント、歴史、城の見どころ、ゆかりの名物などを実にいい塩梅でまとめている。さすがプロの切れ味は一味も二味も違う。

加唐さんがピックアップされた名城は、①江戸城(東京駅)⇒②小田原城(小田原駅)⇒③掛川城(掛川駅)⇒④浜松城(浜松駅)⇒⑤岡崎城(豊橋駅~三河安城駅)⇒⑥名古屋城(名古屋駅)⇒⑦清州城(名古屋駅~岐阜羽島駅)⇒⑧岐阜城(岐阜羽島駅)⇒⑨彦根城(米原駅~京都駅)⇒⑩明石城(新神戸駅~西明石駅)⇒⑪姫路城(姫路駅)⇒⑫岡山城(岡山駅)⇒⑬福山城(福山駅)⇒⑭広島城(広島駅)⇒⑮岩国城(岩国駅)⇒⑯小倉城(小倉駅)である。いずれも日本100名城、続日本100名城に名を連ねる名城ばかりである(Vol.4)。一瞬の出来事ではあるが、これだけの名城が新幹線の車窓から確認できることがわかれば、世の城好きの方々は興奮するに違いない。

加唐氏によれば、かつて、学習研究社の『歴史群像』*2という歴史雑誌に新幹線から見える城が紹介され、それを読んで本当に見えるのか、確認に行かれたとのこと。偉大なる先人たちは、遥か昔に同じことに気づき、既に実行に移していたのである。自分の浅はかさに苦笑するしかなかった。

*2  『歴史群像』は、1992年6月に学習研究社より創刊された日本の歴史、軍事に関する専門雑誌である。毎号、グラフや写真、CGなどを多用して過去の歴史的な人物や戦争(戦国時代に関するものや太平洋戦争に関するもの)について、具体的に検証して紹介する記事が幅広く掲載されている。

 

5.上には上が…

加唐さん以外にも、自分と同じような視点でまとめられたエッセイやレポート等が世の中に沢山出回っているに違いない。このコラムの執筆にあたって、改めて確認してみた。

ジャーナリストの栗原 景さんは、『新幹線から眺める数分間の「天下統一の歴史」』いうエッセイをまとめられている(2016年5月6日付東洋経済オンライン)。「小田原城」、「掛川城」、「清州城」、「佐和山城」、「彦根城」。自分が何とか車窓から発見できた城について、非常に気の利いたコメントがなされている。ご自身が車窓から見える天守等の写真を掲載されているところも素晴らしい。

かみゆ歴史編集部滝沢弘康さん執筆による「東海道新幹線の車窓から城めぐりのすすめ-東京駅~浜松駅編」(2015年3月19日付マイナビニュース)および「同-名古屋駅~新大阪編」(2015年3月20日付マイナビニュース)は、発射直後に現れる「江戸城」、立派な“ウソ城”「熱海城」、撮影難易度マックス級の「名古屋城」など、その内容は非常に興味深いものになっている。ちなみに、かゆみ歴史編集部はユニークな視点から城を再発見する企画に意欲的に取り組んでおられ、最近では『廃城をゆく7~“再発見”街中の名城』(2020年、イカロス出版)という書籍を刊行している。「『廃城をゆく7』連動企画】新幹線から見える城~山陽新幹線」は、山陽新幹線から見える8城について、見つけ方やその難易度、撮影方法などを詳細に解説している。これから山陽新幹線に乗る城好きの方は必読である。

城郭ライターの萩原さちこさんも、同様の企画でコラムをまとめられている。「車窓は意外な鑑賞スポット 駅近の城(2)」(2018年6月18日付朝日新聞デジタルマガジン)では、加唐さんがピックアップした16城以外に、豊橋駅を過ぎてすぐ右手に「吉田城」のシンボル“鉄櫓(くろがねやぐら)”、「観音寺城」、「八幡山城」などが車窓から見られるとしている。さらに萩原さんは、在来線の車窓から望める絶景の城として「亀城」と「大洲城」を紹介されている。どちらもJR予讃線の旅で楽しめるそうだ。在来線の場合は、新幹線に比べて電車の速度が遅く、また城の近くを通過することが多い。そこから眺める城もまた格別であろう。

上には上がいる。世の城好きの方々の気づきや発想力は素晴らしい。世紀の大発見をしたつもりになってすっかり有頂天になっていた己の未熟さを恥じるとともに、城を究めるにはもっと精進が必要だということを改めて学んだ(笑)。

👉 Vol.10 火災との戦い その1

7 COMMENTS

齊藤

清洲城は気がつきませんでした。
次の機会には是非チャレンジです。

我が家では家内の方が先に彦根城を発見したのですが、視認した時は感激でしたね〜^ – ^

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oshirodaisuki

ご一読をいただき、本当にありがとうございます。
新幹線に乗車すると、見逃してはいけないという妙な緊張感が生まれ、うかうか眠れなくなりますね(笑)。
これからも発信を続けますので、またお読みいただけると幸いです。

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