城下町を歩く ~鞆の浦編~ (Vol.40)

福山駅からバスで約30分のところに「鞆の浦(とものうら)」があります。古くから海上交通の要衝として栄え、「潮待ちの港」としても有名な場所。そんな「鞆の浦」に、かつて福島 正則が城を築いていたことを知りました。これはもう絶対に行くしかない!「優秀な手下」を引き連れ、1泊2日の“城巡り弾丸ツアー”を決行しました。

1.旅のきっかけ

以前にこのブログで触れたとおり、筆者には「優秀な手下」(👉Vol.21)がいる。そう、筆者と同じく“城巡り”を趣味にしている息子である。その「優秀な手下」が、確か2月になってからだったと思うが、「広島城が3月22日で閉館するらしい」と悲しげに呟いた。自分はまだ「広島城」へ行ったことがない。閉館する前に、何とか攻略しておきたい。一緒に行かないか。話の流れは、大体こんな感じである。

「広島城」にはもう何度も足を運んでいる筆者にとって、正直、この提案は最初あまり刺さらないものであったが(苦笑)、そこは「優秀な手下」である。ついでに、村上水軍の本拠地である「来島城」や小早川 隆景が築城した「新高山城」も見物しようよ。「しまなみ海道」をドライブすると気持ちがいいし、尾道で美味しい「尾道ラーメン」を食べるのもいいよね…。魅力的なオプションの数々に、思わず“降参”!! 3月上旬に、1泊2日の“城巡り弾丸ツアー”を決行することにした。

宿泊先の選定にあたり、ふと、ある地名が頭の中に浮かんだ。「鞆の浦(とものうら)」である。2015(平成27)年1月、TBSにおいて作家重松 清氏の長編小説『流星ワゴン』の実写化ドラマが放映された。西島 秀俊さんと香川 照之さんのダブル主演である。そのドラマの中に、しばしば出てきたのが「鞆の浦」である。港町の風景や古い街並みが、ドラマの展開に絶妙にハマっていたことをよく覚えている。以来筆者の中では、「鞆の浦」は、いつかは訪れてみたい“憧れの地”のようなものになっていた。

さらに筆者を強く後押ししたのが、「鞆の浦」にある「鞆(とも)城」の存在である。関ヶ原の戦いで東軍方についた福島 正則は、1600(慶長5)年、安芸・備後の領主となり、人生の栄華を極めることになる。「鞆の浦」のことを色々調べているうちに、その福島 正則の手によって「鞆城」が築城されていたことを知ったかつて福島 正則の終焉の地を訪れたことがある筆者(👉Vol.25)としては、俄然モチベーションが上がるエピソードである(笑)。 あれこれ熟慮を重ねた結果、「鞆の浦」での宿泊先は、港や古い街並みの観光にもアクセスの良い、「景勝館 漣亭(けいしょうかん さざなみてい)」に決めた。

 

2.「鞆の浦」の歴史

瀬戸内海においては、満潮時には豊後水道や紀伊水道から海流が瀬戸内海に流れ込み、ちょうど真ん中に位置する鞆の浦沖の辺りで、海流同士がぶつかり合う。逆に干潮時になると、鞆の浦沖を境にして東西に海流が分かれて流れ出していく。このような地理的条件から、古代より「鞆の浦」は、「潮待ちの港」と呼ばれ、海運交通の要衝の地として栄えた。その歴史は古く、大伴旅人の「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも」(鞆の浦の磯に生えたむろの木を見るたびに、ともに見た妻のことは忘れられないであろう)という歌にあるように、日本最古の和歌集である『万葉集』には、「鞆の浦」を詠んだ歌が8首残されている

江戸の激動を語る「鞆(とも)の保命酒」 | 地図から学ぶ、生薬 ...

次に「鞆の浦」が歴史の表舞台に登場するのは、室町時代になってからと言ってよいであろう。室町幕府は、初代将軍となった足利 尊氏が錦の御旗である「院宣」を「鞆の浦」で受け取ったことから始まった、と言われている。さらに、大河ドラマ『豊臣兄弟!』では歌舞伎役者尾上 右近さんが熱演されていた第15代将軍足利 義昭は、織田 信長によって京を追放されているが、毛利氏を頼って最終的にたどり着いたのがここ「鞆の浦」の地であった。幕府方の重臣たちも義昭に付き添って下向したため、「鞆幕府」と呼ばれる一大勢力が一時期この地に存在した。江戸幕末の歴史学者・頼 山陽が言うとおり、まさに室町幕府は鞆で興り、鞆で滅びたのである。

その後、福島 正則がこの地に入り「鞆城」を築いたこと、前記のとおりである。三層の天守からなる城郭が築かれたとされているが、1615(元和元)年の「一国一城令」によって、築かれた天守は「三原城」へ移築されたと言われている。福島 正則の改易後は、徳川 家康の従弟である水野 勝成が備後福山藩の領主となるが、水野氏は「鞆の浦」に町奉行所を設け、これを管理下に置いた。江戸時代における「鞆の浦」は、北前船や九州船の寄港地として栄えるとともに、朝鮮通信使、琉球使節団、オランダ商館長などが度々訪れる、インターナショナルな場所でもあった。

また、1867(慶応3)年には、坂本 龍馬率いる海援隊と紀州藩の蒸気船同士が衝突し、日本初の万国公法による海難審判を起こした「いろは丸事件」の舞台にもなっている。

なお、明治維新後は、西洋型帆船や汽船の登場によってそもそも「潮待ちの港」が必要とされなくなったため、「鞆の浦」のかつての港町としての繁栄は衰退していくことになる。

 

3.「鞆城」を攻め落とす

「鞆の浦」到着後、まずは「鞆城」を攻略することにした。城の跡地となっている「鞆の浦歴史民俗資料館」を目指す。現在、小高い丘の上に資料館が建っているが、遠巻きに眺めてみると、往時の城郭の姿をイメージすることができる。全体として石垣がよく復元されており、丹念に見ていくと、刻印がついた石を見つけることができる。福島 正則とこの城の関わりについてもしっかり案内がなされていた。

丘の頂上からは、瀬戸内海の島々を一望することができる。まさに格別である。この景色を見るにつけ、「鞆城」ひいては「鞆の浦」という場所が、いかに重要な拠点であったのかということがよく実感できる。

なお、「鞆の浦歴史民俗資料館」では、本年12月6日まで、尾上 右近さんの直筆画「足利 義昭像」が特別展示されている。尾上さんが今春、福山にある義昭ゆかりの地を訪問した縁で、同資料館に寄贈されたそうだ。筆者は残念ながらタイミングを逃してしまったが(苦笑)、大河ドラマにどっぶりハマっている方であれば、是非この機会に訪れてみてはいかがであろうか。

 

4.魅力的な町並み

さあ、続いて城下町を散策しよう。「鞆の浦」の最大の魅力は、江戸時代の港町の街並みがほぼ当時の姿のままで残っているという、歴史的景観である。その意味で絶対に外せないのは、鞆の浦」のシンボルとも言うべき「常夜燈であろう。1859(安政6)年に造られた、船の出入りを誘導してきた“灯台”である。海中の亀腹型石積まで含めると、その高さは12.1メートルにも及び、港の常夜燈としては日本一の高さを誇っている。ドラマ『流星ワゴン』の中でも、しばしば登場している。160年以上にわたって港にひっそりと佇んできたその姿は、なんとも言えず幻想的なものであった。

「常夜燈」のすぐ近くにあるのが、同じく観光スポットになっている「太田家住宅」である。「太田家住宅」は、江戸時代より「鞆の浦」で作られている「保命酒(ほうめいしゅ)」の蔵元だった建物で、国の重要文化財の指定を受け、整備復旧がなされたものである。当時の「鞆の浦」の商家の繁栄ぶりがよく実感できる。「保命酒」は、「鞆の浦」土産としてお勧めの一品であろう。焼酎、もち米、麹の3つに十三種類の生薬を漬け込むことから、正式名称は「十六味地黄保命酒」と呼ばれる。甘口の酒は疲労回復、滋養強壮によいと言われ、朝鮮通信使や浦賀に来航したペリーももてなしたとか…。幕末、尊王攘夷を主張したことによって幕府と対立し、京都を追放された三条 実美(さねとみ)は、長州へ逃げ落ちる途中で「鞆の浦」に立ち寄っている。そこで「保命酒」を口にして、あまりの美味しさに歌まで詠んだ、というエピソードが残されている。街を歩いていると、あちこちに「保命酒」と書かれた古い看板を見つけることができる。

決して広いとは言えない路地が、むしろ往時の雰囲気をよく醸し出しているように思う。古い建物をそのまま利用しているお店が数多くあったり、「しまなみ信用金庫」の重厚な建物も、古い街並みによくマッチしている(ドラマの中では、香川 照之さん演じる「忠(ちゅん)さん」が、確かこの場所で融資の依頼を行ったように記憶している)。幕末に起きた「いろは丸号事件」によって、坂本 龍馬はしばらくの間「鞆の浦」に滞在することになったが、その際に龍馬が潜伏していたのが「枡谷清右衛門(ますやせいえもん)宅」であり、「龍馬の隠れ部屋」として見学することができる。

「枡谷清右衛門宅」(龍馬の「隠れ部屋」)

 

6.おわりに

宿泊先として選んだ「景勝館 漣亭」について、最後に一言。実に良いお宿であった。「しまなみの湯」と「月光の湯」には、それぞれ露天温泉が併設されており、鞆の浦を一望することができる。宿のすぐ間近にある「仙酔島」を、お湯にゆっくり浸かりながら眺めることができるロケーション。この上ない贅沢と言えるかもしれない。夕飯も、料理長の心遣いが感じられる品ばかり。特に「鯛のしゃぶしゃぶ」と「鯛茶漬け」は美味であった。

ドラマ『流星ワゴン』は、主人公の前に突如ワゴンカーが現れ、なぜか自分と同じ年の父親と一緒に、過去にタイムスリップする旅を続けるというお話であった。鞆の浦」に来れば、あたかも江戸時代にタイムスリップしているかのような感覚を味わうことができる。だからこそ、ドラマのロケ地に「鞆の浦」が選ばれたのではないだろうか。そんなたわいもないことを考えながら、最後にお気に入りの一枚を撮影し、「鞆の浦」を後にした。

👉Vol.41 武田勝頼の最後 

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