蕎麦(そば)の話(Vol.24)

岩村城下町を散策した翌日、長野県伊那市高遠町にある高遠城の見物へ出かけた。心に余裕を持って出かけた二回目の訪問ということもあってか、蕎麦(そば)にまつわるちょっと面白い話を見聞することができたので、本コラムで紹介をしたい。

1.高遠城

春の桜の季節、全国でも特に人気が高いのが「高遠城址公園」(長野県伊那市高遠町)である。ソメイヨシノよりもやや小ぶりで、赤みが強い花を咲かせるタカトオコヒガンザクラは、その可憐さ、規模感から天下第一の桜と呼ばれている。4月の上旬から中旬にかけてが見ごろと言われており、多くの観光ツアーが組まれているが、地球温暖化に伴う異常気象の影響もあってか、ドンピシャの時期に出かけることが年々難しくなっているように感じる。かくなる自分自身も、まだ実際には見たことがない(苦笑)。

桜の季節ではなかったものの、岩村城下町を散策した翌日(Vol.23)、高遠城の見物へ出かけた。今回の旅は、岩村城下町の散策⇒苗木城見物⇒中津川温泉泊⇒妻籠宿散策⇒高遠城見物と、1泊2日ではありながら比較的余裕を持ったスケジュールが組めたので、それぞれのスポットを十分に味わい尽くすことができたように感じる。

高遠城は、もともとは諏訪氏の一族高遠頼継の居城であった。武田方に手を貸して、諏訪氏一族を滅ぼすことには大いに貢献したものの、諏訪氏の所領をめぐってその後武田晴信(信玄)と争いになり、高遠城は武田方の支配下となる。武田氏にとっては、信濃攻略の拠点となった重要な城と言える。信玄後期から武田勝頼の時代になると、岩村城と同様、地政学的に織田・徳川連合軍の攻撃対象となっていく。勝頼の異母弟である仁科盛信(信盛)が城主となって3千の兵とともに籠城、必死に防戦したものの、織田信長の長男信忠が率いる3万の兵に攻め滅ぼされた。ちなみに、長野県の県歌である「信濃の国」では、五番の歌詞に「♪♪ 仁科の五郎信盛も…」というフレーズがある。佐久間像山らとともに長野県の偉人の一人として数えられている。

江戸の時代に入ると、高遠藩は保科家⇒鳥居家⇒内藤家と治世が変わり、幕末を迎える。

 

2.保科正之と「高遠そば」

保科家の第二代藩主は、名君としての誉れ高い保科正之である。第二代将軍徳川秀忠の第四男として生まれたが、庶子ゆえに、正室お江世の方の嫉妬を恐れてその出生の事実がひた隠しにされた、というエピソードが有名である。高遠藩の初代藩主である保科正光の下に預けられた後、正光の子として養育され、第二代藩主となる。善政を敷いたと言われており、山形藩20万石の藩主となった折には、数多くの領民が正之の後を追って山形へ移り住んだと言われている。異母兄である第三代将軍家光の信任も厚く、最終的には会津藩23万石の領主に取り立てられ、以後、その子孫が会津松平家として幕末まで会津藩主となる。

保科正之は、大の蕎麦(そば)好きだったそうだ。伊那地方では、古くから蕎麦(そば)が家庭料理として根付いており、お醤油がまだ製造されていなかった江戸時代初期の頃は、大根の搾り汁に焼き味噌を溶かして「そば汁」にして蕎麦(そば)を食する、「辛つゆ」スタイルが一般的であった。これが正之に刺さったのであろうか、信州からの国替えにあたっては、そば職人や穀屋を多く引き連れていったそうで、結果として遠く離れた会津の地に、「高遠そば」という食文化が定着していったのである。正之は、第四代将軍家綱の補佐役を務めていたため、江戸にも蕎麦(そば)文化を広めたと考えられている。

なお、会津地方の観光地である「大内宿」には、鰹節をかけた蕎麦(そば)を大根おろしを入れた出し汁につけ、箸代わりの長葱で食べる「高遠そば」という名物がある

 

3.本家の「高遠そば」を食す

その一方で、伊那地方は、蕎麦(そば)が家庭料理として完全に定着していたこともあってか、商売としては成り立ちにくく、長きにわたって蕎麦屋がなかったそうである。平成の時代に入って、会津地方と長野県高遠町の交流が始まったことをきっかけとして、1998(平成10)年以降、高遠町の飲食店関係者が「高遠そば」の名前を会津地方から逆輸入して、地域活性化事業の一つとして取り組むようになった。2007(平成19)年には高遠そば ますやが開業し、これ以降、高遠町にも蕎麦屋が増えていった。本家である高遠町の「高遠そば」の歴史はまだ新しいのである。

旅行当日は、残念ながら「高遠そば  ますや」さんがお休みであったため、「入野家(いりのや)」さんへ出かけた。メニューを見ると、前記2の「高遠そば」のくだりが詳しく説明してあるではないか。思わずじっくりと読み込んでしまった。先に辛味大根の搾り汁と焼き味噌が到着、味噌を溶かしながら待っていると、ほどなく蕎麦(そば)がやって来た。味噌を溶かしすぎず、そして汁をつけ過ぎないように注意をしながら、一口すすってみる。辛味は全く気にならず、味噌の風味が蕎麦(そば)によく合う。溶かす味噌の量を増やすことによって、途中で味変もできる。なるほど~、これが「高遠そば」かあ。まだお醬油がこの世になかった頃の蕎麦(そば)の食べ方としては、実に理に適っているように感じた。人生初の「高遠そば」。歴史も一緒に勉強することができ、実に良い経験をさせてもらった。ごちそうさまでした。

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