城下町を歩く ~大和郡山編~(Vol.36)

2026年1月から大河ドラマ『豊臣兄弟』がスタートしました。「豊臣 秀長」にスポットライトが当たる1年になることは間違いありませんが、ドラマのスタートに先立ち、「秀長」が心血を注いで築城した「大和郡山城」とその城下町を散策してきました。

1.大河ドラマ『豊臣兄弟』

2026(令和8)年1月4日(日)から大河ドラマ『豊臣兄弟』がスタートした。大河ドラマ“あるある”とも言われているが、戦国武将が主人公になるとやはり視聴率が採れるらしい。第1回目のドラマでは「豊臣 秀長」役を仲野太賀さん、「豊臣 秀吉」役を池松壮亮さん、「織田 信長」役を小栗 旬さん、秀吉の妻「寧々」役を浜辺美波さんがそれぞれ演じていたが、今後も豪華キャストの出演が多数予定されている。個人的には小栗 旬さんが演じる「信長」に好感を持った。一筋縄ではいかない難しいキャラクターの「信長」をどう演じるか、まさに役者としての力量が試されるところであるが、らしさを匂わせつつ、見る者に一定の安心感を与える登場の仕方はさすがだなと感じた。今後も小栗「信長」からは目が離せそうにない。

今年一年は、恐らくあちこちで「秀長」像が語られることであろう。史実に基づいた検証は偉い先生たちにお任せすることとして、これまでのドラマを見て感じた、筆者の無責任な感想を述べてみたい。①「秀長」は“いい人”である。世間一般で言うところの、「人格者」に属する人だと直感的に感じる。②「秀長」は優秀で、仕事ができる。道普請を行った際の計算の速さ、巧みな人の使い方。実務能力は極めて高いタイプだと思う。③「秀長」は地位が高くなっても決して偉ぶらない。ドラマでは、権力を握っていく度に変わっていく「秀吉」との対比が見事に描かれることであろう。④「秀長」は“断らない(断れない)“。人から物事を頼まれたら、恐らく「イヤ」とは言えない性格だったのではないだろうか。

ちょっと待ってよ~。どうしていつも俺なの。ほんと勘弁してよ~」。そう言いながらも、結局は当事者になってどこまでも深く事態に巻き込まれていく。そんな数々の場面を、これからも仲野太賀さんは1年間、間違いなく好演してくれることであろう。同時に、現代社会における“補佐役”、“参謀役”像が、このドラマによって一新されることになるかもしれない。今後の展開が本当に楽しみである。

 

2.「大和郡山城」

奈良県大和郡山市には、続日本100名城(👉Vol.4)に選ばれた「大和郡山城」がある。元々は「筒井 順慶(じゅんけい)」の居城であったが、大和国・和泉国・紀伊国三か国100万石余の領主となった「秀長」が、それに相応しい大規模な城として改修、拡張を行い、城下町としての整備を行った。1586(天正14)~1590(天正18)年にかけてのことである。

元々大和地方は、興福寺や東大寺、高野山など、古代から続く寺社勢力による支配が各所に及んでいたため、その統治自体が非常に難しいエリアであった。さらに地政学的に見ても、大和郡山から西へまっすぐ進めば生駒山地にぶつかり、それを越えれば大阪平野、大阪城へと続いていく。一方、北上すればすぐ京都に到達することができる。大阪と京都を守るためには、大和郡山は要所の地であったと言える。「秀吉」の信任が最も厚い「秀長」が「大和郡山城」の城主となることは、ある意味至極当然のことであったと言えるのかもしれない。

近鉄橿原線「近鉄郡山駅」を下車し、線路に沿うようにして「九条駅」方向へ向かって歩くと、ほどなく「鉄(くろがね)御門」跡に到達。二の丸の堀と石垣を横目に見ながらさらに「陣甫(じんず)曲輪」と呼ばれるエリアを北上していくと、再建された「追手(おって)東隅櫓」「追手門(梅林門)」が見えてくる。ここは間違いなくお勧めの写真撮影スポットである

「追手門」をくぐり、本丸方向へ歩を進めると、右側に「天守台」が見えてくる。なかなか壮大な規模感である。そして、二の丸と本丸を結ぶ「極楽橋」を渡る。令和4(2022)年に再建されたものだ。そこからは、本丸の石垣、空堀を眺めることができるが、「秀長」時代に積まれたものだからであろうか、石に対する加工がほとんどなされていないこと(いわゆる「野面積み」であること)がよくわかる。「大和郡山城」は、「転用石材」の宝庫であると言われている。墓石や地蔵、庭石、建物の礎石など、ありとあらゆる石が石垣構築のためにかき集められた。安土桃山時代には、採石場から石を切り出す技術やシステムがまだ整っていなかったからであろう。「転用石」の象徴と言われているのが、「天守台」にある「逆さ地蔵」である

大きさの異なる様々な石が嵌め込まれていることがよくわかる。

「天守台」は、平成25(2013)年から4年の歳月をかけて展望台として整備され、一般公開されたものである。ちなみに、平成29(2017)年の「天守台」展望施設完成式典には現総理大臣の高市早苗氏(当時は総務大臣)も訪れているというから、奈良県にとってなかなかのイベントであったことは間違いない。そもそも「大和郡山城」に天守閣が実在したのかどうかについては、資料があまり残されていないこともあって、過去には懐疑的な意見も多かったそうだ。「天守台」の整備工事の際に、礎石や金箔が付着した瓦などが発見されたことによって、「秀長」時代には天守閣が実在していたことが立証されたことになる。「天守台」から眺める景色は格別である。向かって北の方角には、「薬師寺」の西塔や東塔、平城京跡などを一望することができる。

 

3.城下町を歩く

大和郡山市観光協会によれば、大和郡山市のキャッチフレーズは「金魚とお城のまち」ということだ。今回は、残念ながら金魚と触れ合う機会はなかったものの、今でも城下町の風情が色濃く残る市街地を十分に散策することができた。本町・今井町・奈良町・藺(いぐさ)町・柳町・堺町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・綿町・紺屋町からなる町の自治組織は、「箱本(はこもと)十三町」と呼ばれ、既に「秀長」の時代から組織されていたそうだ。各町名がいかにも城下町らしい。現在の路地を歩いてみても、往時の通りを彷彿させる面影がよく残されている。

前記2の「大和郡山城」は、桜の名所としても知られている。およそ800本の桜の木々があるそうだ。大河ドラマの盛り上がりとともに、春には間違いなく大勢の観光客が訪れることであろう。そんなお客様が必ず立ち寄りたくなる、二つの“推しスポット”を紹介したい。一つ目は、御菓子司 本家菊屋 本店である。創業は天正13(1585)年、400年以上も続く、奈良県で一番古いお菓子屋さんである。ちなみに、日本で一番古いお菓子屋さんは、京都・今宮神社参道にある「一文字屋和輔」だそうな。あぶり餅が有名である。

「本家菊屋」さんの名物は、「御城之口餅(ごじょうのくちもち)」である。創業年からも明らかなとおり、このお店はまさに「秀長」の“御用達”であったわけであるが、兄「秀吉」を招いて茶会を催すにあたり、「秀長」は初代菊屋治部衛に対して「何か珍しいお菓子を作れ」と命じた。その時献上された餅菓子が銘菓「御城之口餅」の始まりということだ。ひと口サイズだったこともあり、「秀吉」もたいそうお気に召されたそうな。粒あんを餅で包み、きな粉をまぶしたシンプルなお菓子であるが、実に風味が良かった。筆者はさらに菊之寿(きくのことぶき)という和菓子を購入した。贅沢な白小豆と福白金時を使った白あんはなめらかで絶品。ケーキのような和菓子と言われているのも頷ける。現在の店主は、第26代目になるそうだ。食材に徹底的にこだわり続けながら、これからも変わらない味を届けてくれる、「名店」としての“品”を感じた。

「本家菊屋」さんから続く柳町商店街通りは、左右に様々なお店が並び、歩いていても実に楽しい。その一角にあるのが、もう一つの“推しスポット”である中谷酒造 柳町醸造所である。2022(令和4)年に清酒バーを併設するためにリニューアルされたこともあって、醸造所内はまだどことなく新しい雰囲気が漂う反面、酒を運ぶのに使用した巻き上げ機や大きな酒樽など、昔ながらの道具の数々が鎮座している。事前に予約申込をすることによって、日帰りの“お酒造り体験”ができるというのも実に魅力的な企画だ。筆者たち3人組は、清酒バーでお酒を購入し、お清めをすることにした。お勧めは、やはり萬穣 大和大納言 豊臣秀長 磨き6割であろう。大河ドラマ『豊臣兄弟』が放映されることを契機として、それまでの中身を一新されたそうで、「やっと間に合いましたよ」と、六代目の若い当主が屈託のない笑顔で話してくれたことが非常に印象に残っている。フルーティな味わいは筆者好みである。当日は、お腹が大きくなられていた奥様もご一緒に接客をなされていた。もしかしたら…、既に七代目の当主候補が誕生されているかもしれない(笑)。

大和郡山のこの二つの“押しスポット”は、春の便りの訪れとともに絶対に「バズる」はずだ。今回の予想には、自信がある(笑)。

👉Vol.37 「火災との戦い その3」

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