2004年に世界遺産に登録された「熊野古道」。漠然とした憧れのようなものを抱いていましたが、今回、自分の足で歩いてみるという大変貴重な体験をすることができました。どこが“城ブログ”のネタなんだよ、という突っ込みは平にご容赦をいただき(苦笑)、今回の体験記をまとめてみました。
1.きっかけは…
「熊野古道」を歩いてみない? 旅好きの奇特な友人から声がかかったのが、今回の旅行のきっかけである。そう、この友人とは対馬・壱岐旅行に一緒に出かけた仲でもある(👉Vol.29)。「熊野古道」に関してはそれほど知識を持ち合わせていなかったが、世界遺産ということもあって漠然とした憧れのようなものを抱いていた。毎日のウォーキングで脚にはそれなりの自信がある。よっしゃー!と、二つ返事でOKをした次第である。
せっかくだからということで、関西在住のスポーツマンの友人(マスターズ水泳大会で絶賛活躍中!)にも声をかけ、三人旅を決行することにした。行程は次のとおりである。第一日目は奈良の近鉄郡山駅に集合。「大和郡山城」見物と城下町を散策。年明けから始まる大河ドラマ『豊臣兄弟』の予習を兼ねて、筆者のリクエストで半ば強引に予定にねじ込んでもらった。近鉄大和八木駅近くの「カンデオホテルズ奈良橿原」さんに宿泊。第二日目は大和八木駅9時15分発の日本一長い路線バス「八木新宮特急バス」に乗車、一路十津川村へ。十津川温泉「ホテル昴」さんに宿泊。第三日目は「ホテル昴」からいよいよ「熊野古道小辺路(こへち)」に足を踏み入れ、全長14.6キロの山道を歩き、「熊野本宮大社」を目指す。和歌山県田辺市の湯の峰温泉「あづまや」さんに宿泊。最終日は湯ノ峰温泉から再び「八木新宮特急バス」に乗車、大和八木駅まで戻り、帰路に着く。自宅のある千葉県船橋から湯の峰温泉「あづまや」さんまでの総移動距離は軽く700キロ越える。まさに大旅行である。
2.日本一長い路線バス
第一日目の「大和郡山城」とその城下町散策のことについては、別の機会に触れることにしたい(👉Vol.36)。第二日目、「八木新宮特急バス」に乗車するところから始める。バス旅番組として超有名な『ローカル路線バスの旅』シリーズにおいて、かつて太川さんたち一向も乗車したことのある路線バスだけに、話のネタとしてはもうそれで十分であろう(笑)。
大和八木駅~新宮駅まで全長169.9㎞、停留所の数は168、高速道路を使わない路線では、日本一の走行距離を誇る路線バスが「八木新宮特急バス」である。9時15分に大和八木駅を出発すると、終点新宮駅には15時47分着。実に6時間半に及ぶ長旅となる。やばいな、一体トイレはどうするんだ? 最近頻尿症状に悩む筆者が真っ先に心配したことである。「安心してください!」(笑)。途中の五條バスセンター(出発から約1時間15分後)で10分、上野地(バスセンターから約2時間後)で20分、十津川温泉(上野地から約1時間15分後)で10分の、計3回のトイレ休憩が用意されていた。良かったあ~(安堵)。とは言え、車中でビールを飲むことは我慢することにした。


この路線バスが主に走るのは、大阪府枚方市と和歌山県新宮市を結ぶ国道168号線である。五條バスセンターから先は完全な山道となり、急峻な紀伊山地を通り抜けていく。かつて大雨や台風による土砂崩れに何度も遭ったため、国道168号線では至る所でバイパス道路の拡張・建設工事が行われていたが、このバスが走行するのは、離合するのもやっとの狭隘な旧道ばかり。世界遺産の登録によって観光路線になったことは間違いないが、基本、この路線バスは旧道の集落と集落を繋いでいく、生活路線なのである。

3.「谷瀬の吊り橋」
途中、上野地での休憩時間を利用して、「谷瀬(たにせ)の吊り橋」を見学した。この吊り橋は、戦後復興ま間もない1954(昭和29)年に、谷瀬の人々が一戸あたり20~30万円を拠出し、総額800万余円の大金を投じて作り上げたもの。長さ294メートル、高さ54メートルというスケールは、生活用(村道)の吊り橋としては日本一と言われている。眼下に清澄な十津川(熊野川)が流れる景色は最高であるが、歩くたびに吊り橋はゆらゆらと揺れる。うーん、こいつはかなり怖い(苦笑)。あたかも空中を散歩しているかのような、強烈な浮遊感であった。
ちなみに、スポーツマンの友人は、今回の旅行にドローンを持参、上空から吊り橋全体を俯瞰する素敵な動画を撮影してくれた。さすが“デキる男”は違うわと思っていた矢先、吊り橋近くの「桜山ホテルカフェ」というお店でランチを食する際、ドローンの小さな部品をウッドデッキの隙間に落とすという失態を演じてしまう。部品は見えるものの、なかなか拾い上げることができない。困っていたところ、スタッフの方が長い菜箸を上手に隙間に差し込み、辛抱強く作業を続けてくれた結果、見事にこれを回収することに成功!! 聞けば、横浜・三渓園近くに一号店のお店があり、単身赴任で十津川村にいらしているとか。旅先で偶然遭遇した、まさに“神対応”であった。




桜山ホテルカフェで食したランチ。食材へのこだわりが至る所に感じられ、ベルギービールもいとうまし! 吊り橋見物の際には是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
3.十津川村
十津川村は、日本で一番広い村である。面積は672.38㎢で、奈良県の約5分の1を占めており、東京23区とほぼ同じ広さである。奈良県の最南端に位置し、西は和歌山県、東は三重県に隣接をしている。

「十津川」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。学生時代に司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」に傾注していた筆者は、1867(慶応3)年11月に坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された「近江屋事件」において、実行犯が「十津川郷士である」と名乗ったことを真っ先に思い浮かべてしまう。「十津川郷士」は言わずと知れた勤皇派であり、その名を聞いた龍馬も思わず油断をしてしまった、というわけである。 「十津川村」の地域の人たちが朝廷に仕えた歴史は古いようだ。「壬申の乱」の際には村人たちが出兵し、南北朝時代には南朝方を支え、そして幕末の「天誅組」には多くの「十津川郷士」が参加している。その昔、神武天皇が河内平野を平定すべく紀伊半島の南から熊野の山に分け入った際に、八咫烏(やたがらす)の道案内で通ったのがちょうど「十津川」のあたりであった、というエピソードからもわかるとおり、京都、奈良から見て決して交通アクセスが良くない「十津川」には、勤王精神が溢れる土壌のようなものが元々あったものと考えられる。
「十津川」から西村京太郎氏の「十津川警部」シリーズを連想する人も多いのではないだろうか。『十津川村 天誅殺人事件』の解説によれば、西村京太郎氏が探偵役の名前を考えていた際に、たまたま見ていた日本地図で奈良県十津川村が目に留まり、その名前が決まったとか…。ただし、村名では「とつかわ」と濁らないが、主人公十津川 省三の性は「とつがわ」と濁るので、注意が必要。1978(昭和53)年に刊行された『寝台特急殺人事件』によって、警視庁刑事部捜査一課の十津川警部は一躍有名となり、JR、私鉄を問わず日本各地を走る列車を舞台にした作品で活躍、テレビドラマ化も数多くなされている。個人的には、渡瀬恒彦氏の演じる十津川警部が妙にしっくりとハマる。
十津川村は、2004(平成16)年6月28日、日本で初めて、村内の温泉地25施設全てについて「源泉かけ流し宣言」をしている。第二日目の宿泊先は、十津川温泉郷にある「ホテル昴」さんである。「源泉100パーセントかけ流し、加温・加水なし」。まさに“奇跡の温泉”と言ってよい。実に良い湯であった。ホテルのロビーには、「十津川警部シリーズ 西村京太郎」の推理小説が数多く展示されており、自由に手にすることができる。長時間のバス旅の疲れを十分に癒すことができた。


さあ、いよいよ明日は「熊野古道小辺路」を歩く。
👉Vol.35 「熊野古道(クマノコドウ)の話 その2」
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